1971年8月、大統領は経済チームの全員をヘリコプターでキャンプ・Dに運び、週末を使って会議を開いた。
大統領経済諮問委員会の委員だったH・Sは、ニューディール以降、「経済学の歴史でもっとも重要な会議になりうる」と語っている。
会議が終わって、N大統領は減税、経済全体におよぶ賃金と物価の統制、輸入課徴金の導入、ドルと金の交換停止を発表した。
政治的には、大成功であった。
価格統制を導入したので、N大統領と連邦準備制度理事会(FRB)のアーサー・バーンズ議長はインフレを心配することなく、通貨供給量を増やせるようになった。
1971年に通貨供給量の伸び率は10パーセントを超え、過去最高になった。
景気は素直にこれに反応し、72年の大統領選挙の時点には経済成長率が5パーセントを超えるまでになって、政治的な必要をしっかりと満たしている。
一回の週末の会議で、N大統領は大企業を労働組合の賃上げ要求、仕入れ先の価格引き上げ、外国企業との競争から解放し、消費者も物価が落ちついたことで喜んだ。
1971年末には、ドルは金1オンスの価格でみて、約404ドルの水準まで下落した。
金を基準にした場合、アメリカの貿易相手国はドルで保有していた外貨準備で25パーセントの損失をこうむったことになる。
日本はとくに大きな打撃を受けた。
ドルの保有高が多かったからだ。
経済に与えた打撃があきらかになったのは、N大統領が再選を目指した選挙で地滑り的な勝利を獲得した後であった。
石油輸出国機構(OPEC)による原油価格の引き上げは、1970年代の大インフレを引き起こすことになるが、ドルの変動相場制を導入したことの直接の結果である。
73年にOPECが原油価格を3倍に引き上げたとき、ドルは金1オンスの価格でみて、約百ドルまで下落しており、以前の3分の1にすぎなくなっている。
79年にOPECがふたたび原油価格を3倍に引き上げたとき、ドルは金1オンスの価格でみて、2303ドルから5178ドルの間になっており、金を基準にした場合には、OPECは原油価格を維持できていなかった。
80年には金が1オンス当たり8150ドルに急騰し、金を基準にした原油価格は過去最低に下落している。
問題はアメリカが通貨を切り下げたことにあるのだ。
リベラリズムの死1971年の賃金・物価統制は当初、「90日間の凍結」と呼ばれていたが、実際には3年続いた。
統制というものは導入よりも廃止が難しい。
インフレ圧力が爆発寸前になるまで高まっていたし、複雑怪奇な規則のために、幸運な人や有力なコネをもつ人はたっぷりと儲けられる穴を確保していた。
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